幼き頃の私に,読後感想文のためとプレゼントしていただいた雨月物語.
その頃の私はとても内弁慶でありましたが,
怖がりやで夜寝る前のトイレに家人を引き連れて行ったほどの臆病者でした.
そんな私にこの本は,怖くてたまらない,でも読まずにいられないと感じたほど惹きつけられた本です.
たぶん読後感想文には本の内容よりも,トイレに行けないぐらい怖いのに,なぜかどんどん頁をめくってしまうことを,一生懸命にしたためたような思い出があります.
私が手にした書は,化粧箱付きの菊判かB5判ほどの大きな書で化粧箱の色は桃色と肌色の間くらいの素敵なものだったように記憶しています.色見本で探してみるとどうやら虹色「明るい灰みの赤系」(和色大辞典 参照)が近いなあと感じています.その色に千代紙のきらびやかな彩色と女性(あるいはもののけ)がデザインされた装丁が印象に残っています.その本が何処にあるのかとても気になる存在です.
さて今回取り上げたのは,私にプレゼントしてくれたとても大切な存在が先日不帰の客となり,モウニングワークの時を過ごすうちに本書を読みたくなったためです.
私のいただいたものと同一の装丁本は見つけられなかったのですが,東大准教授の佐藤至子さんが解説している本書は,初めて雨月物語に出会う方には大変わかりやすくなじみやすいものだと思い,手にいたしました.
私が初めて手にした頃は,
歴史的背景はもとより万葉集や短歌などの知識に疎く,本書の筋はつかめたように思いますが,作品としての味わいまでにはとても辿り着けませんでした.
最近の古典文学ではあらすじをはじめに示すことで,小説の空気を読み含めながら,味わえる書も多く見られるようです.
ネタバレとの危惧もみられているようですが,作品自体の背景をつかめずに怖さや突飛さだけを印象づいてしまうよりは,多くの楽しみがあると思います.
さて本書の概要と一節を紹介いたしましょう.
上田秋成さんは江戸時代の読本作者であり,国学者,歌人,医師など多くの肩書をお持ちでした.特に万葉集の研究から「万匂集」というパロディ作品および源氏物語の評論書の発刊や,筑前で発見されたかの金印の考証文書の作成についても史実として残っているようで,その背景からも本書の随所にこの史実を含めた作品であるように感じられます.
本書は9編の短編からなり,オムニバス形式ではありますが,改めて読み進めてみると,起承転結が感じられました.
特に第一章の「白峯」と終章「貧富論」は本書を読むにあたっては平易な方であり,読み進めやすいものだと思います.
「白峯」では西行と崇徳院の亡霊の対話です.崇徳院の亡霊は,生前の帝位継承による不和と崩御後にその怨念により引き起こしている災いを西行へ語ります.
西行は墓前で和歌を詠み弔い,崇徳院が返歌し対話を深めます.崇徳院の怨みつらみが語られる一方で,西行は傾聴し,崇徳院の真意を確かめ対話します.最後に西行はあの世が身分は関係しない世界との意を含めた和歌を示して,崇徳院をあの世へ送り返さすという物語です.
初めの章としては大変重い人間の業を崇徳院を通して乱世の彷徨いを私たちに投げかけているように思います.読み進めながら人の思う気持ちをしっかりと受け止める度量の大きさをも求められているように感じさせるものがあります.
そして最終章は,初章の崇徳院へ投げかけた
問いかけに「お金」と「身分」を題材にした人のあり方として,答えを与えているように見えます.
短編集ではありますが,第7章「蛇性の淫」は,他の倍ほどの文量にわたる作品です.
この作品は文字通り蛇の変幻した妖怪が人間に近づき拐かすというものですが,本編中で最も怖さを感じる作品です.
数十年ぶりに読み返して,幼少時代に感じたあの強い恐怖はこの箇所だったのでは⁉︎と思っています.
西行が読んだ短歌を含めて,他の章においても和歌や漢詩が散見されます.佐藤至子さんの解説によると本書に関連する日本の古典(徒然草 他)や中国古典も多く参照されているようです.解説があるから大人になった私にも楽しく読み進められたのかもしれません.
幼き頃にこの作品を紹介してくれたことに感謝したいと思います.
つねづねこの本のことを「怖がりで臆病な私」に送った理由を知りたいと思っていたのですが,再び解説付きで本書を拝読した私は,今,強くしっかりと現実を受け止めることを,そしてまだまだ知らぬ世界を深く味わうことを教えたいと思っていたのかもと感じています.いま一度,心と行動をあらためて多生の縁を感じながらぜひ実践したいと思います.
数十年前に手にしたものと同じ装丁の本を,いつか古書店街を巡り再会できることを楽しみの一つにしたいと思います🎶